トップページ » Luther Vandross 1951-2005

Luther Vandross 1951-2005

Luther昨晩観たキャンディ・ステイトンのライヴ(6/30、ビルボードライブ東京)が素晴らしかったので、そのことについても書いておきたいのだけど、7月1日といえばルーサー・ヴァンドロスの命日。彼がこの世を去ってから7年が経つが、“あの日”のことを僕はよく憶えている…というか、これからもずっと忘れない。今回はCDの紹介ではなく思い出話です。一応ジャケットを掲載したCDについても簡単に触れておくと、これは今年出たルーサーの編集盤。『Hidden Gems』と銘打たれているようにルーサーの隠れ名曲を集めたベストで、エピック~ヴァージン~J・レコーズと、レーベルを跨いでの選曲が売りのようだが、何となくポップス・サイドから見たルーサー名曲という感じなので評価は分かれるかもしれない。というわけで、以下は“あの日”のお話。

2005年7月1日、僕は初めてのEssence Music Festival(EMF)観戦のためニューオーリンズにいた。EMFの開演は夜7時からだったが、その日は初めてということもあって、早めに準備を済ませてホテルの部屋でゴロゴロしていた。で、現地に到着してからBGM代わりにしていた地元のR&B専門ラジオ局WYLD-FMにチューニングを合わせると、何故かルーサー・ヴァンドロスの曲ばかりが流れている。ん?と思っていたら、女性DJの口から「Luther Vandross has passed away...」と。2003年に脳卒中で倒れて入院していたものの回復していると言われていたので安心していたのだが…ルーサーは帰らぬ人となってしまった。まさにEMFのアイコンとも言えたルーサーが、よりによってEMF初日に亡くなるなんて。そして。“So Amazing”が何度も流れるラジオを消してテレビをつけると、ニュース番組はルーサーの訃報に続いてフォー・トップスのレナルド・オービー・ベンソンの訃報を伝えた。ルーサーとオービーが同じ日に? そういえばEMF初日のトリはアレサ・フランクリン。ルーサーはアレサをプロデュースし、オービーはそのルーサーが手掛けた『Jump To It』(82年)収録曲“I Wanna Make It Up To You”にフォー・トップスの一員として客演している…。すぐにそのことに気付いた僕は、その晩に行われるアレサのステージを勝手に心配し始めていた。アレサ、大丈夫かな?と。

初めてのEMFは、当時bmr編集部にいた金子穂積さんとの男二人旅。R・ケリーやカニエ・ウェストで盛り上がるシカゴに(自費で)取材に行こうということになり、金子さんが「せっかくならニューオーリンズに寄ってEMFを観てみたいんですけど…」と口にしたことから急遽決まったEMF行きだった。確か航空券も現地のホテルも旅行の3週間前くらいに予約したんだと思う。ホテルは(超高級ホテル以外)一つしか空いていなかった安ホテルの部屋を何とか確保するという計画性のなさ(笑)。ニューオーリンズには学生時代アメリカを一人旅した時に訪れたことがあったので土地勘はあったが、EMFに関しては、フェスの存在は知っていたものの情報がなく、何をどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。当時僕の周囲では誰も行ったことがなく(後になって松尾潔さんが初回の95年から2004年まで何度か足を運ばれていたことを知るのだが)、実際に会場入りするまで謎だらけで、まさに手探り状態。今でこそ、bmr誌に7年連続で座談会形式のリポートを掲載したこともあって、すっかり有名になったEMFだけど、2004年まではほとんど騒がれていなかったのだ。そういう意味では金子さんが言い出したお蔭なのかしれない。あのリポート掲載後、日本から行かれる方も増えたと聞く。

DSC00057で、初日の7/1。初EMFへの期待と無事に会場に入れるのかという不安、そしてルーサー&オービー死去のショックとが相まって妙な昂揚感が生まれ、会場までドキドキしながら足を運んだことを思い出す。…結果から言うと初日はルーサー追悼一色だった。なにしろメイン・ステージの一発目は、デビュー作で(ルーサー版を意識した)“Superstar”を歌っていたルーベン・スタッダード。おそらく訃報を聞く前からセットリストに組み込んでいたのだろう“Superstar”に加え、“Never Too Much”“So Amazing”を歌って最後には涙ぐんでしまったルーベンを僕は忘れることができない。その後も会場のスクリーンにたびたびルーサーの写真が映され、何だか大変な時に大変な場所に来てしまったような気持ちに。そして初日のトリを飾ったアレサ・フランクリン。僕の心配をよそに、やたら明るいアレサに拍子抜けしたが、スクリーンにルーサーの写真が映るなかでルーサーがプロデュースを手掛けた“Get It Right”を歌い、その後「今日は私の大切な友人を二人同時に亡くしてしまいました」と言ってゴスペル曲を熱唱する姿には、さすがに目頭が熱くなった。

翌日もルーサー追悼ムードは続き、あちこちのステージでトリビュートが行われた。とりわけ個人的に印象に残っているのはフロエトリーが歌った“A House Is Not A Home”。マーシャ・アンブロウジアスが♪A chair is still a chairと歌い始めると、ラウンジ(小さい会場)にいた観客の全員という全員が♪Even when there’s no one sitting thereと続き、その後はフロエトリーの二人と皆で最後まで大合唱。全身に鳥肌が立った…というか、その場にいたほぼ全員が歌詞を覚えている上にルーサー独特のフレージングまで真似ちゃったりして、ワケわからず日本から来た自分は頭ポカーン状態。つまり、それくらいブラック・コミュニティにはルーサーの音楽が根付いているのだ…と以前から聞いていた話ではあったけど、こうしてその現場に居合わせ、直接肌で感じ取った体験は、どこの誰にどんな話を聞くよりも説得力があった。2009年、開催1週間前にマイケル・ジャクソンが亡くなった時のEMFでもトリビュートが行われたが、ルーサーは他界直後ということで、会場は異様な空気に包まれていた。でも、しんみりした感じはなく、むしろ皆さん楽しげ。ここらへんがまたEMFのいいところなんだな。

ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズの街を襲ったのは、その約2ヵ月後のことだった。翌年のEMFは、会場のルイジアナ・スーパードーム(現在は「メルセデス・ベンツ・スーパードーム」と改名)修復のため、ヒューストンで臨時開催。2007年から再びニューオーリンズに戻っての開催となったのだが、その時僕は、諸々条件が整えば毎年行こうと決めた。“お金を落としに行く”という言い方は何だか品がなくて好きではないけど、現地で消費税を払って(ルイジアナ州の消費税は高いので)それが復興の一助になるのなら、それもひとつのチャリティではないかと。…そして、今年も何とか行けることになった。今週末から始まるEMF 2012。今年はアレサ・フランクリンも、ルーサーが亡くなった“あの日”以来、7年ぶりに出演する。未だ日本にやってこない女王様だけに絶対に見逃せないステージ。R・E・S・P・E・C・Tの気持ちで、その姿を拝んできたい。また、ディアンジェロの出演も決定していて、全米では10年ぶりとなる本格的なライヴということもあって各所で話題になっている。その他の出演者も近年稀に見る豪華さで、行く前からもうクラクラ。いつもはヒップホップ・アクトも数組出演するEMFだけど、〈The Power of Our Voice〉というテーマを掲げた今年は、毎年恒例の地元ブラスバンド以外、出演者はほぼR&Bアーティストで固められている。しかも滅法歌えるシンガーばかり。ルーサー亡き後もR&Bスターはちゃんと存在しているのだ。

今年は僕の周囲だけでも日本から多くのR&Bファンが参加予定。というわけで帰国後にはライヴ・リポートを…といきたいところだが、今年はbmr誌が休刊中のため同誌での座談会形式のリポートはナシ。当然ながらリポートの依頼もないわけだけど、記録は残しておきたいので、必ずどこかでやるつもりだ(本ブログで?!)。もっとも、EMFにはライヴ・リポートを書くために行っているわけではなく、あくまで現地のあの雰囲気を体感することが目的。せっかく今年も行けることになったのだから、思いっきり楽しんできたい。無事観戦を終え、帰国できたら諸々ご報告します。



トラックバックURL
コメントを書く




情報を記憶: 評価:  顔   星